23 May 2010

World Cup 2022 Bid JAPAN

 ついでに、これもこないだtwitterに書いた2022 wcupの招致活動に関することのトゥギャったのも書いておこうと思う。これに関しては、自分自身の専門分野に関することで、すごく興味があることなので、またゆっくりと書こうとは思いますが。

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訳あって今、2022 WcupのBID BOOKを全部見ていたのだけれども、2016 TOKYOの失敗が生かされていない感じ。ヒューマニティー・テクノロジーの部分も村井先生がコーディネートだったのにもっと色々とあったはず...残念。

いや、もちろん2016 TOKYOの立候補ファイルと比べて、日本全体を打ち出すから、文化的なものが書かれている箇所も多いのだけれども、なんか違和感がある。ここで紹介されているのは2002で経験されている訳で、2022に強くなってるのはそこじゃないでしょ、と。

FIFAとIOCが求める招致コンセプトは違うのは分かるのだけれdも、なんか今回のBID BOOKは立候補ファイルより全体的な大きな夢みたいなのが欠けていると感じたのだよね。もーなにやってんだよ、電通さん!って感じ。

というか、ENGLANDのBID BOOKやこっちでの反応と比べちゃうと、きついなー。という印象を持ったのだけなんだけれども。その他の国がどういうのを提出したのかは知らないからなんとも言えないか。

時間あったら、他の国のものや、2002の時のBID BOOKとかどっかで探して読んでみたいな。

Millwall Playoff semifinal

 こないだ、ミルウォールのスタジアムが今の家からものすごいことを知って、リーグ1のプレイオフ・セミファイナルの日に衝撃的な図太い声たちが聞こえた話をトゥギャってまとめたので、掲載します。なんかこういった形でブログにポストする回数も減っていくのかなーってことも感じる。

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 さっきから窓の外からなんか気になる声が聞こえるなーって思ったら、ミルウォールとSwindon TownがLeague oneのPlayoff semifinalの試合だった!日本で言うと昇格決定戦みたいな?それも家のすぐ近くで!!あーもう、見に行けばよかったと心の底から後悔。。

 それにしても、家の中にいても奮い立たせてくれるくらい聞こえる図太い声。窓の外見てると、試合が終わり興奮して「Big Game!」と叫び帰ってくるおじいちゃん、おばあちゃん。それも、PlayOffって言ってもLeague Oneだからいわゆる3部の試合で。なにもかもが違いすぎる。

 FINALは29日だから絶対行くように今から予定を入れておく!チケットも発売初日に買う!ミルウォールが勝ってチャンピオンシップに昇格したら、来シーズンはリーズも上がるし、絶対楽しいじゃん!!なんだかこんな夜中に興奮してきた!

 あっ違う、FINALの相手がSwindon Townで、今日の相手はHuddersfield Townだったらしい。どっちもあまり聞いたことのないチームなんだけれども、強いのかなー。

 そして、twitterのトレンドのところにもMillwall。すごい。

 平日の夜中なのに外から未だに止まない歌声。同じくらいパトカーのサイレンの音が鳴ってるけど。。本当にはんぱない!こんなん平塚もとい日本のスタジアムどこに行っても見たことない。今からビール持って無駄に参戦しに行こうかな!本気で。

 もちろんこないだのチェルシーの2冠達成パレードも人の多さとかは半端なかったし、かなり盛り上がってたんだけど、今日はまたちょっと違う雰囲気。まあチェルシーのはお祭りみたいなもんだったし。

 で、重要なのはこれがLeague Oneだっていうところ。だと思うのだよ。

23 Apr 2010

"Can There Be Art?" Roppongi Crossing 2010

 先日行ってきた「六本木クロッシング2010:芸術は可能か?」展に関して少し書きたいな、と思ったのだけれども、色々と好きなアーティストさんが多いせいか褒めるばっかになっちゃうから長く書くのは自粛したいと予め宣言しておこうと思う。

 そもそも「六本木クロッシング」は、森美術館で3年に1度開催される日本のアーティストやクリエーターを紹介するシリーズ展であり、森美術館企画の中でも好きなシリーズなんだけれども、特に今回は森美の近藤キュレーターの他にゲストキュレーターとして参加しているのが、窪田研二さんや大阪大学の木ノ下さんってこともあり、ストリートアート、限界芸術みたいに語られる分野がかなりフィーチャーされていたことは、個人的にはかなりテンションが上がった。所謂、限界芸術と言われるコンテンポラリー・アートがああやってホワイトキューブの中でパブリック(と言っても美術館という限られた場所に来る創造階級)に対して、見せることは作る側にも見せる側にも見る側にも全ての面で大きな意味を持つと思っているから、今回のような展示は大好き。

 今回のサブタイトルにもある"芸術は可能か?"というダムタイプの古橋悌二の言葉から取ったと言うけど、この言葉に全てが詰まっているのもすごく感じる。そして、それがきちんと全ての作品から見えていることが良かった点だと思う。

 その上で、大好きなChim↑Pomの新作はやっぱり良かったし、志賀理江子さんだったり、HITOZUKIや青山悟とかもやっぱり素晴らしい作品で、初めて知った相川勝さんやRogus's Galleryとかもすごくクールだった。もちろん森村泰昌さんは圧倒的な存在感があるしさ。

 他にも、今回は写真撮影をフリー(一部以外)にしたことはこの国で画期的だし、まあ若手だったから出来たって言うのも関係しているのもしれないけど、そういういろんな点を含めて、今回の企画展は自分の中でも気に入った1つになった、かな。ということで写真を何枚か。













22 Apr 2010

One Day Tour, Kyoto 2010

 last week, i went to one day trip to Kyoto and Osaka. every time went to there, I felt "Kyoto is very historic sorted" and "Osaka is very chaos city".

 here is some of the photo of those days.






















these photo license under CC attribution share alike.

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7 Mar 2010

a conflict between the old newspaper and twitter

 ちょっと前からtwitterをはじめとしたweb上で論議を生んでいるこの話題について少し触れてみる。詳しい話の流れとかは林信行さんのblogなどが早々に書いて下さっているので見てもらった方が良いと思うから、簡単に。自分が気になったというか理解出来なかった点だけ。

 まず、この記事自体が記者の主観が入りすぎているということ。もちろん、記事というのは人が書くものだし、客観性と呼ばれるものは存在しない。しかし、この記事における主観は、論点が本質とかけ離れ過ぎだ。この記事では、大臣批判というよりも大臣批判というフィルターを通して、twitter批判とも受け取れる。要するに、こういった政治家などが直接しかも早急に国民とコミュニケーションすることで、いわゆる"記者クラブの中抜け"が行われるようになる。それが顕著に見えた今回のケースで、記者クラブ保守派の読売だからこそそれが強烈に見え見えになる記事になったのではないか。その理由として、同じ話題に関して朝日新聞が同日付けで書いている記事に関しては、批判じみた記述はない。

 ここまでならまだ良いとしても、今日の読売に出た社説には、驚いたのを通り過ぎて落胆した。これはさすがに酷すぎる。yomiuri onlineで見た限りだから確実とは言えないが、おそらくこの記事は今日の朝刊に出ているはずだ。日本で一番の発行数を誇る新聞社の考える代表がこれかと。特に最後の、「気軽につぶやいてもらっては困る時もある」。これが本音だろう。極端な話をすれば、twitterやustreamによる記者会見などもしようとすれば今すぐにでも可能な訳で、情報も早くなる。ただ、それをやられると番記者の意味はなくなる、だからこそtwitterの価値を否定し、信頼性を低めよう、ということだ。

 記事を見る限り、先日の記事を書いた記者も、今日の社説を書いた人もtwitterをやっていないだろう。言うまでもないが、フリージャーナリスト・ライターを始めとした独立した人たちがtwitterを使いこなし、どういった情報の出し方をしているのか、どういったディスカッションをしているのかを知らないとしか思えない。はっきり言えば、こんなスタンスを取っているからこそ新聞に未来はないと言われるのだ。

 そして最後にもう一つだけ批判を付け加えると、読売が記事を出し議論を呼んでから、見出しを3回も変えていた上に、「ツイッターの利用を優先させる考えを示したことは、今後、論議を呼ぶ可能性がある。」と記者自身が正当化されるように書き加えたことである。これに関してはkamikura.com blogに詳しく書いてある。確かにwebメディアでは見出しや一部の内容を変えることも珍しくないが、通常その旨を追記するだろうし、こんなにしれっと変えたケースでは焦って対応したとしか思えない。もはやメディアとしての価値はないと言っていいんじゃないかね。

 いずれにしろ今後、新聞社は電子配信などを(日経のように)スタートさせて来たり、少しはwebシフトが活性化させてくるとは思うけれど、会社の本質を変えない限り、つぶれちゃうよーと。あっ、もう時既に遅しだったりして。


【読売】原口総務相釈明…ツイッターで津波情報流してた
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100302-OYT1T00431.htm


【読売】3月6日付 よみうり寸評
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column2/news/20100306-OYT1T00593.htm



【朝日】自ら津波ツイッター速報、原口総務相「正確な情報優先」
http://www.asahi.com/national/update/0302/TKY201003020185.html


原口大臣ツイッター報道に感じた違和感 (nobi.com)
http://nobi.com/jp/opinion/entry-1131.html

原口大臣Twitterで情報を流し新聞社に弁明させられる
http://blog.kamikura.com/archives/1511

Naoshima-Inujima 2010


 long time no update, sorry. last week, I went to Naoshima and Inujima in the Seto inland sea of Japan. that was so special trip in a while, and i was 4times to go there. I was pretty excited about "2things". The first is the easiest, i met a amazing new works! (ex. Claude Monet). and, next is most things, the spectacle remains the same. i hope this will keep spectacle unchanged.














13 Feb 2010

core season of New Media Art

 2月は東京でもメディアアートの季節。明日まで国立新美術館で行われている「Japan Media Art Festival」や東京都現代美術館で行われている「Cyber Arts Japanーアルスエレクトロニカの30年」だけでなく、先月末の東京藝大大学院映像研究科メディア映像専攻の「Media Practice 09-10」、19日からの「恵比寿映像祭」など様々なイベントが行われているのだけれども、行ってきた内容やそれに伴った講演やシンポジウムの中から印象に残った点を少し。

 まず、06日に行ってきたCyber Arts Japanの公式シンポジウム「アルスの30年」。アルスの創始者ハンネス・レオポルドゼーダー、芸術監督のゲルフリート・シュトッカー、クリスティーネ・ショップというアルスを30年支え、作り上げてきた3人とIAMASの坂根先生が登壇。第1部でゲリフリートがアルスの30年について簡単にプレゼンテーションした後に、第2部で”坂根アーカイブ”の中から日本人受賞者の作品を紹介し、最後にハンネスやクリスティーネなどがディスカッションするという流れだったのだけれども、内容が多すぎて2時間ちょっとじゃあ時間が短すぎたかな、もう少し時間を足して深いところまで聞きたかったというのが正直な感想。特に個人的はORFや州政府との資金サポート面の関係とか興味あったから。。

 ゲルフリートが話していた通り、リンツでメディアアートと市民との距離を最も縮めたのが"Cloud of Sounds"。今では10万規模の来場があるみたいだけど、これは本当にすごい。新しいテクノロジーで音楽や科学がどうインパクトを与えられるか、が明確に市民に伝わるし広がりも生む。あと、デジタルアーカイヴが30年間で4万も溜まっているのは一番の強み。全ての作品をデジタル化をしていくリサーチインスティテュートを創設してもっと加速するらしいし、ゲルフリートの言葉を借りれば"未来に行けば行くほど財産が溜まる"。これは、New Media ArtsはもちろんだけどCreative Cityを形成する上で最も重要視していかなければならないトピックだと思っているから、やっぱりアルスはすごい、というか本当に正統。正統なことを正統にすることって一番難しいから。

 他には、Future Lab.を活性化することで、企業とのコラボレーションを誘発していくことだったり、クリスティーネが言っていた通り”これからは、クリエイションをするための場としてのミュージアム”という位置づけにならないとなのはもちろんだけど、そのためのPrixの存在や直接的なコミュニケーションを大事にするネットワーク性、継続性だったり、勉強になることはたくさんだったし、何と言っても巨匠達の話を聞ける貴重な機会だった。



 国立新美術館で行われている「文化庁メディア芸術祭- Japan Media Art Festival」は、もう今年で13回目。去年も同じようなことを書いた記憶もあるんだけど、本当に年々来場者数が増えてきた。今年は展示をゆっくり見に行く日とシンポジウムの日、2回行ったんだけど、展示スペースは金曜の夕方ということもあってか、混み過ぎ!和田さんの作品なんて人気がすごくてオーディエンスは去年の3倍はいたのではないかな!もちろん来客数が増えることはすごく良いことなんだけど、もう少し大きなスペースで開催しても良いんじゃないかなーとも思う。作品間が近いせいか音もすごく混ざり合い過ぎで作品の良さが消えちゃっているものもあったし・・・。後は、撮影不可はどうにか改善してほしい。(これは国立新からのルールらしいけど)率直な感想はそんな感じかな。

 テーマシンポジウムは、04日に行われた「to create new culture」に参加。青木保前文化庁長官や前出の坂根先生、オーストラリアのacmiのキュレイターAlessio CAVALLARO、NYにあるeyebeamのエクゼクティブダイレクターAmanda McDONALD CROWLEYの4人が登壇。青木さんの基調講演の中で話していた「ベンヤミンの複製時代論から超複製時代の到来」ということや、見せる側と見る側における文化多様性による変化、速い情報と遅い情報との使い分けなどの他に、ディスカッションの中で話題になった「文化的変容の中でデジタル化による画一性の面もあり、似たものが増えているというのは否定出来ないが、バックグラウンドには違う」というものをきちんと見極めるリテラシーが重要だと感じたし、文化多様性を維持し新しい文化を生むためには、やはり高度なハイブリットを生むための新しいポジションのキュレイターや移動性の理解、どういうコンテキストの中で発表するかなどが重要というこを再認識させられた対談になってよかった。




 今年のOpening Titleすごく好き!Sooo COOL!!創られたのは、今年も原田大三郎先生だったはず。



 その他、横浜の新港で先月開催された藝大映像専攻科の「Media Practice 09-10」のこととかも書きたかったけど、長くなってしまったので、すごく気になった作品の写真だけ。


(TOKYO 16:50, Marina Tanaka, from:http://www.fnm.geidai.ac.jp/mp0910/)


(See You Again, Yusuke Sakamoto, from:http://www.fnm.geidai.ac.jp/mp0910/)


(Storytelling, Wataru Itoh)

KUMANO-ISE TOUR 2010

 Early February, I went to Kumano and Ise in Japan. It is so spectacle place. I felt the culture of Kumano because of its mixture of spirituality and nature. Especially, Nachi Falls and Kamikura shrine are place of religious importance to japanese community.

 I think back "human will never be a god".


(The Uji Bridge, Ise Grand Shrine)


(Kumano Hayatama Taisha)


(Kawaracho, near Hayatama Taisha)


(Kamikura shrine)


(Kumano Nachi Taisha)


(Nachi falls)


(Kumano Hongū Taisha)


(big Torii gate, terminal of Kumano kodo)


 this movie is not my works, but really cool one, so you should have a look this movie!!

17 Jan 2010

"Shibuya", Really Has No Intrinsic Value?


 昨日は渋谷で、渋谷の在り方について議論。最初はそんな話じゃなくて、表現の仕方だったり見せ方みたいな話をしてたんだけど、いつの間にか渋谷の話になりヒートアップ。そもそも戦前から商業都市として"買い物をする場所"として形成され、戦後になってそれが西武と東急(確か東急の方が数年進出は遅かったはず)の2つのグループによって競争され、"スペイン坂"や"文化村通り"のような名称までもつけてしまうくらい都市作りにおいて力を持ち、現在の形として形成されてきた渋谷の街と文化って、やはり商業主体の街なんだよね。改めて深い歴史的に見ても、江戸が作られてゆく上で渋谷って、全く手を付けられていなかった場所なわけだから、そりゃあそうかもしれないけど。

 その上で、じゃあ現在渋谷の都市文化ってがどういった形になってるかって言うと、もしかしたら90年代後半あたりから急激に成長した"ギャル文化"以降はっきりとした形として確立しているかって言うとNOだと思う。"ギャル"という言葉(正確に言うとコギャルやマンバという言葉)が世に溢れた90年代から2005年くらいまでって、良い意味でも悪い意味でも渋谷が街としてのアイデンティティーをしっかりと持っていて、"ギャルに憧れる子"や"ギャルを見に来る人"がある種間接的にかもしれないけど、お金を落として行くことで、都市としてのビジネスは非常に成功していたと思う。ただ、2007年くらいからかな?"ギャル"っていう文化自体も多様化してきて、例えば"age嬢"という歌舞伎町文化だったり、ファッションに関しても109の圧倒的な力よりも原宿ファッションに興味を持つギャルだったり、もっと言えば今のギャルって"ファッションセンターしまむら"を愛しているんでしょ?よく知らないけど。

 そういった時代の流れから"渋谷=ギャル"っていう固定概念的なものが薄れてきて、じゃあなにが残りますか。って話になると、なにも残らない"無機質な場所"になってしまったんだよね。これってもちろん最初に書いた渋谷が商業ベースにした都市作りしかして来なかったから、っていうのもあるとは思うけれど、それ以上にもしかすると、ギャルというブーム的な文化があったから現在の無機質さが生まれているのかもしれない。フェスティバルが終わった後みたいな。

 ただ、この無機質さってもしかしたら、日本の地方都市(地方って書いたら悪いけど)や発展途上国が、向かっている先ってここ(無機質な渋谷)なんじゃないのかな?とも思った。先進国の商業タウンとして目標とされてきたこの場所が、ブームとして過ぎ去ったらなにも残らない。だからこそ、一貫した文化政策が必要なんだよね!とも再認識。だって、例えば原宿だったり一貫した文化がある場所には、無機質さは顕著になってないのだから。もちろんそれは政策だけじゃなくて民間も消費者も全ての流れにもよると思うけどさ。

 それを踏まえた上で、じゃあどうすれば良いのかってことを考えなきゃいけないのは自分の課題ではあるんだけど、その反面というかそれ以上に、渋谷がある種プロトタイプ的になるという意識を持って、他の地方都市は早めに新しい手を打てば良いじゃないかということをすごく思った。ちょっとまとまりがないというか完全に今日は主観的な意見だけど、都市で文化を作っていくためには、早く動かなければな、ということを改めて感じさせられたし、いかにすごく良いものを見せるためのプラットフォームをフラットに出来るかがこれからの課題だなと。






(画像は関係はないけど、Ryo Taguchi, Tomoko ImakawaのGreen Islandの中からShibuya : created by imkw 2008-09)

13 Jan 2010

New Media Art Infrastructure of possibilities : Louis Vuitton New Year's Countdown Facade


 もう昨年の話なんだけど(って書くとすごく古い話みたい)、2009年大晦日の夜に表参道を歩いてて、イルミネーションはもう見慣れてたし興味もなかったんだけど、Louis Vittonがファサードのディスプレーを大きく変える作業をしていて、すごく興味深かったからちょっと立ち止まって見てた。いつもはほとんど白のLEDで照らしているファサードを青に変えていたから、綺麗だなーって感じだけど、ここまで出来るならもっと表参道を歩く人たちとインタラクティブなものを作ればいいのに、なんてのも思いながら帰ってしまったんだけど、最近になってこの記事を見たら、カウントダウンですごい映像を映し出したみたいで、見とけばよかった!なんてちょっと悔しかったり。

 ただ、今回の試みって見せる相手としてもすごくコア(今回だとLouis vittonのVIP)なところになってくるし、規模としてもいいかもしれないんだけど、今回の成功がなにを生むかと言うと、例えば次のコレクションの立ち上がりとか大きい話題を作るときって、もっといろんなことが出来る可能性が広がったと思う。その上で、もちろんLouis vittonは、村上とずっと前から手を組んでいるという強さも含めて、彼やカイカイキキ自体も映像作品に最近すごく力をいれているのだから、その新しい発表の場だったり、これは非常に難しいのかもしれないけど、村上のようないわゆる現代アーティストともっと新しいメディアアーティストとLouis vittonという3者のコラボレーションとして、インタラクティブなものも作れるよね。それこそ表参道は一般通行者も多いし、マッチポイントとしての価値も高いと思うし。

 自分で言っている事がぐちゃぐちゃになってきてるけど、この試みは今後のLouis vittonが行う戦略の中でも新しい糸口になるんじゃないのかな、って思ったということ。そして、12月の頭ごろからやっていたDiorの赤いファサードとは同じように見えて全く違う可能性があるということ。そんなことを思ったりしながら、やぱっりなにか新しいことをやりたいな!と。




(Louis Vuitton Omotesando, 2009.12.31)


(Louis Vuitton Omotesando, 2009.12.31)


(Christian Dior, 2009.11, Image by:Dior)

ルイ・ヴィトン表参道店がブルーに輝いた夜
http://www.excite.co.jp/ism/concierge/rid_12131/
「ダミエ・アズール」新モデルの発売を記念したイベントを開催!
http://www.elle.co.jp/fashion/pick/lv1226

10 Jan 2010

Medicine and Art: Imagining a Future for Life and Love


 森美術館に「医学と芸術医学と芸術:生命と愛の未来を探る ~ダ・ヴィンチ、応挙、デミアン・ハースト」展を見に行ってきた。率直に、森美術館の企画展の中で久々に興味深いと感じる内容だった。その名の通りだけど、ダヴィンチの解剖図からダミアンやパトリシア・ピッチニーニの現代的なアート作品まで内容が濃い上に、展示の流れも大変見やすくすごくよかった。

 しかし、ダヴィンチの頃の解剖図を書くための作業は、悲惨だったんだろうね。もちろんそれを描いた作品もあったけど、それ以上に想像してしまうと怖くもなるなと。ただ、方法こそ進化しているものの、根本的な体のメカニズムってあの時代から驚くほどわかってたのね。逆に言うと、300年以上たっても解明されてることって進化してないんだなとも実感。だけどやっぱり、現代芸術として医学領域をテーマとした作品たちが一番良かったかな。ヤン・ファーブル(ファーブル昆虫記のファーブルの曽曾孫とは初めて知った)だったり、ウォーホールの「薬局」、やなぎみわ、エドワルド・カッツの「GFPバニー」とかまぁ比較的好きなアーティストが多いってのももちろんあるけど、わかりやすい作品が多かったかなとも思った。ただ、個人的にはPatricia Piccininiの「Game Boy Advanced」とWalter Schelsの「LIFE BEFORE DEATH」はものすごくクールで刺激的だった!


(Elmira Sang Bastian,2002, 2004, Walter Shells)


(2002, Courtesy: Haunch of Venison, Tolarno Galleries and Roslyn Oxley9 Gallery)

人間の身体は我々にとって、もっとも身近でまたもっとも未知の世界です。人間は太古の時代からその身体のメカニズムを探求し、死を克服するためのさまざまな医療技術を開発してきました。また一方で、みずからの姿を、理想の美を表現する場の一つと位置づけ、美しい身体を描くことを続けてきました。より正確な人間表現のために自ら解剖を行ったレオナルド・ダ・ヴィンチは科学と芸術の統合を体現する業績を残した象徴的なクリエーターと言えます。本展は、「科学(医学)と芸術が出会う場所としての身体」をテーマに、医学・薬学の研究に対し世界最大の助成を行っているウエルカム財団(英国)の協力を得て、そのコレクションから借用する約150点の貴重な医学資料や美術作品に約30 点の現代美術や日本の古美術作品を加えて、医学と芸術、科学と美を総合的なヴィジョンの中で捉え、人間の生と死の意味をもう一度問い直そうというユニークな試みです。また、英国ロイヤルコレクション(エリザベス女王陛下所蔵)のダ・ヴィンチ作解剖図3点も公開します。(http://www.moriart.org/contents/medicine/)

Walter Schels
http://www.walterschels.com/h/?lang=en
http://www.noch-mal-leben.de/h/index.php

Patricia Piccinini
http://www.patriciapiccinini.net/

3 Jan 2010

EKIDEN -Seasonal Tradition of New Year's Holidays-


 Today, I went to Hakone to watch the goal of HAKONE EKIDEN. It's a gather momentum at the popular level. So, we can't walk straight in the huge tide of people, like famous festival.

 but, my university team, the winner of past year's Hakone ekiden, finished 8th on the first day, but came back on the second day to take 2th place overall. It was never make up for a poor start and finish in second place.




(02.01.09 Hakone, all photo)