昨日は渋谷で、渋谷の在り方について議論。最初はそんな話じゃなくて、表現の仕方だったり見せ方みたいな話をしてたんだけど、いつの間にか渋谷の話になりヒートアップ。そもそも戦前から商業都市として"買い物をする場所"として形成され、戦後になってそれが西武と東急(確か東急の方が数年進出は遅かったはず)の2つのグループによって競争され、"スペイン坂"や"文化村通り"のような名称までもつけてしまうくらい都市作りにおいて力を持ち、現在の形として形成されてきた渋谷の街と文化って、やはり商業主体の街なんだよね。改めて深い歴史的に見ても、江戸が作られてゆく上で渋谷って、全く手を付けられていなかった場所なわけだから、そりゃあそうかもしれないけど。
その上で、じゃあ現在渋谷の都市文化ってがどういった形になってるかって言うと、もしかしたら90年代後半あたりから急激に成長した"ギャル文化"以降はっきりとした形として確立しているかって言うとNOだと思う。"ギャル"という言葉(正確に言うとコギャルやマンバという言葉)が世に溢れた90年代から2005年くらいまでって、良い意味でも悪い意味でも渋谷が街としてのアイデンティティーをしっかりと持っていて、"ギャルに憧れる子"や"ギャルを見に来る人"がある種間接的にかもしれないけど、お金を落として行くことで、都市としてのビジネスは非常に成功していたと思う。ただ、2007年くらいからかな?"ギャル"っていう文化自体も多様化してきて、例えば"age嬢"という歌舞伎町文化だったり、ファッションに関しても109の圧倒的な力よりも原宿ファッションに興味を持つギャルだったり、もっと言えば今のギャルって"ファッションセンターしまむら"を愛しているんでしょ?よく知らないけど。
そういった時代の流れから"渋谷=ギャル"っていう固定概念的なものが薄れてきて、じゃあなにが残りますか。って話になると、なにも残らない"無機質な場所"になってしまったんだよね。これってもちろん最初に書いた渋谷が商業ベースにした都市作りしかして来なかったから、っていうのもあるとは思うけれど、それ以上にもしかすると、ギャルというブーム的な文化があったから現在の無機質さが生まれているのかもしれない。フェスティバルが終わった後みたいな。
ただ、この無機質さってもしかしたら、日本の地方都市(地方って書いたら悪いけど)や発展途上国が、向かっている先ってここ(無機質な渋谷)なんじゃないのかな?とも思った。先進国の商業タウンとして目標とされてきたこの場所が、ブームとして過ぎ去ったらなにも残らない。だからこそ、一貫した文化政策が必要なんだよね!とも再認識。だって、例えば原宿だったり一貫した文化がある場所には、無機質さは顕著になってないのだから。もちろんそれは政策だけじゃなくて民間も消費者も全ての流れにもよると思うけどさ。
それを踏まえた上で、じゃあどうすれば良いのかってことを考えなきゃいけないのは自分の課題ではあるんだけど、その反面というかそれ以上に、渋谷がある種プロトタイプ的になるという意識を持って、他の地方都市は早めに新しい手を打てば良いじゃないかということをすごく思った。ちょっとまとまりがないというか完全に今日は主観的な意見だけど、都市で文化を作っていくためには、早く動かなければな、ということを改めて感じさせられたし、いかにすごく良いものを見せるためのプラットフォームをフラットに出来るかがこれからの課題だなと。
(画像は関係はないけど、Ryo Taguchi, Tomoko ImakawaのGreen Islandの中からShibuya : created by imkw 2008-09)
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